神奈川の印鑑屋で実印をつくった


メソポタミア文明で魚は豊穣の象徴でした。「豊穣」は「生命」「エロス」とも結びつきますが、その“伝統”はフェニキアやローマにも受け継がれます。そしてキリスト教にも(新約聖書には「大漁」や「魚を増やす奇跡」があります)。

中世のキリスト教では、「金曜日は断食日」でした。また「四旬節(レント)」も(40日間の)断食期間です。ただし魚は除外されています。つまりヨーロッパのキリスト教徒はけっこう魚を食べていたわけ。しかしその「決まり」をヨーロッパ全域に徹底するためには、「漁獲」「保存」「運送」がすべて成立しなければなりません。特にレントの期間は大変です。中世の前半にはウナギが大きな役割を果たしていましたが、後半にはニシンとタラが“主役”になりました。どちらも大量漁獲と保存手段の確立によって、教会の主張を支えたのです。
ニシンは不飽和脂肪が多くて酸化しやすく、日干しには向いていません。14世紀に「塩漬け」という手法が確立し、ニシンは「保存が利く魚」になりました。「塩漬け」は同時に漁船に変革を求めます。大量の樽と塩を搭載でき、捕獲したニシンを即座に内臓を抜いて樽に塩漬けする作業ができる「デッキ」が必要になったのです。オランダは国家事業としてニシン漁を行い、富を蓄えます。それを指をくわえてみていたのがイギリスの漁民で、その不満がやがて「領海」の概念につながっていきます。

「ストックフィッシュ」は、天日で何ヶ月もかけて干したタラで、非常に固いことで有名で、食べる前にはまずハンマーで入念に叩きさらに一晩水につけて戻さなければならないものでした。10世紀より前にノルウェイで作られるようになり、ヴァイキングの長期間の航海を支えました。「日干し」は場所を選ぶため、やがて「塩タラ」も作られるようになりますが、塩が豊富なフランスでは塩分たっぷりの塩タラ、塩田があまり無いイギリスでは甘塩の干物の塩タラ、というお国柄が生じました。特に保存性が高い塩タラは赤道を越えても食べることができ「大航海時代」を支えることになります。

「メイフラワー号」の人々は、タラ漁で有名なプリマスから出発して北米のニュープリマスに到着しました。偶然そこもタラの豊かな漁場でしたが、装具不足と持ち込んだ種子が土地に合わなかったため入植者は飢えに苦しむことになります。それを救ったのはネイティブ・アメリカンですが、それはまた別のお話です(一昨年読書した『クジラとアメリカ ──アメリカ捕鯨全史』(エリック・ジェイ・ドリン)にも「メイフラワー号」が登場しましたっけ)。

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